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南米アンデスの登山とトレッキング(2) ペルー インカトレイル・トレッキング
2018/ 05/ 25未分類
インカ帝国は現在のペルー、ボリビアを中心に、13世紀に成立し、1533年スペインのコンキスタドール(征服者)によって滅ぼされるまで約200年にわたって栄えた国家です。
1911年、アメリカ人の探検家ハイラム・ビンガムがインカ帝国の首都であったクスコの北東70㎞ほどの標高2500mの断崖に囲まれた尾根の上の熱帯ジャングルの中にインカ帝国の遺跡を発見しました。「空中都市」と呼ばれ、1983年、世界遺産に指定されたマチュピチュです。インカは文字を持たない文化のため、だれが何の目的でいつ作られたのかはわかっておらず、神秘に満ちた遺跡として世界の人々を魅了しています。

クスコからマチュピチュに至る道路はありません。マチュピチュ発見の前からあった、アマゾンの産物をクスコに運ぶ鉄路が唯一の交通手段です。ウルバンバ川沿いを走る鉄路により、山麓の温泉の出るアグアスカリエンテス(熱い水=温泉の意。現在はマチュピチュ村と呼称されています)まで行き、発見後、開かれたジグザク道をシャトルバスでマチュピチュに登るのが一般的です。
マチュピチュに人が住んでいた当時は、もちろん、クスコから徒歩で行き来するしかなく、そのインカの古道は現在、「インカトレイル」と呼ばれ、豊かな自然も相まって人気のあるトレッキングコースになっています。
このインカトレイルのスタート地点は、クスコからの自動車道が終わるところです。マチュピチュまで3泊4日のコースで、コースのほとんどが、国立公園のため、宿泊施設はなく、許された地点でのみのキャンプが可能ですが、ガイド、ポーター無しのトレッキングは許されていません。したがって、今回のきたろうHCの5人と私の6人パーティはガイド、ポーターなどスタッフを含め、20人もの大所帯に膨れ上りました。
一日の入山者がスタッフも含め、500人に厳しく制限されているため、半年以上前から入域許可の取得が埋まり、「世界で一番許可が取りにくいトレッキングコース」ともいわれています。私たちが訪れたのは、まだ雨期が明けきらない時期であったので、比較的楽に入域許可をとることができました。
3/12、30数時間の長旅でしたが、アメリカ経由で無事にペルーのリマに到着。
3/13は早速、海抜0mのリマから3400mのクスコに飛ぶ予定のところ、クスコが土砂降りで出発が3時間遅れましたが無事にクスコに降り立ちました。雲は多かったのですが、時折、強い日差しが差して、暑いくらいです。遅い昼食と観光とで忙しい一日でした。リマからの急激な高度上昇にも高度障害が出る人はいませんでした。
3/14はクスコ郊外の「聖なる谷」を観光してトレッキングのスタート地点(2600m)に近い宿に入りました。
3/15、今日からいよいよインカトレイルのスタートです。
最初はウルバンバ川に沿って、鉄路の対岸を進みます。トレイル沿いにはあちこちにインカの遺跡やテラスと呼ばれる段々畑があります。その最初の遺跡を臨むところから、ウルバンバ川と左に90度別れ、支流の渓谷に入っていきます。植生はサボテンなどの耐乾植物が多くみられます。3時間ほど歩いたところで昼食。先行しているスタッフにより、ダイニング(食堂用)テントが設営されスープ、メイン、デザートの豪華昼食。
午後からも3時間ほどで本日のキャンプ地(3000m)に到着。このキャンプ地は国立公園の境界のすぐ外側にあり、国立公園の内部にあった個人の家はこの場所に退去させられたそうで、マチュピチュまでの最後の集落です。キャンプ地も個人の住宅の裏庭のようなところで、トイレも住宅のものを利用します。
宿泊用の個人テントで旅装を解いて、ダイニングテントでお茶をいただきます。高山病にも効くといわれる、コカ茶が人気です。これをお土産に持って帰りたいという声もありましたが、コカの葉は麻薬のコカインの原料の為、伝統的に飲料されているアンデスの山岳地帯を除いては販売、移動が禁止されているので、持ち帰ればトラブルになる惧れが大きい。
3/16、インカトレイル・トレッキングの二日目です。インカトレイルは昨日登ってきた渓谷から右へ90度方向を変え、また別の谷に入っていきます。インカ古道というだけあって、コースはほぼ全線、インカ特有の石畳や石で作られた階段ができています。また、植生は雲霧林帯から灌木帯に変化していきます。
この日は、このルート最高所のワルミワリュスカ峠(4200m)を通過しました。本来なら雪に覆われたアウサンガテ(6394m)が見えるのですが、あいにくガスで展望がありませんでした。峠からは急な山道を下り、1時間ほどで本日のキャンプ地(3600m)です。立派で清潔なトイレがありますが、狭いキャンプ地にはたくさんのテントがひしめいていました。
3/17、この日はインカトレイルの中で2番目に高い峠ルンクラカイ峠(3975m)を越えます。途中、半月形の美しいインカ遺跡や稜線上に造られた遺跡を見学。また、道中はコケやシダが美しい森へ植生が変化していきます。その後、岩をくり抜いたインカのトンネルを抜け、稜線上のキャンプ地(3770m)で昼食。ここからは聖峰サルカンタイ(6271m)が見えるはずですが、この日も小雨が降りだしたので、展望は得られませんでした。
3/18、きょうはゴールのマチュピチュに到着する日です。世界遺産のマチュピチュはペルー人のスタッフにとっては庭みたいなもので、高い入場料を払ってまで訪れる必要はありません。彼らは近道して、下山し、早朝のローカル列車でクスコに戻ります。そのため、4時にはキャンプを撤収しなければなりません。テントを出て、チェックポストのゲートが開くのを待ちます。既に、長蛇の列で、暗闇の中、2時間待ちました。
パーミットチェックを終え、夜明け前の薄明りの道を進みます。次から次へと後続のグループが追い抜いていきます。マチュピチュの入り口のサンゲート(太陽の門)でご来光を迎えたいのでしょう。しかし、マチュピチュのまわり、特に東側には高い山があるので、きれいな夜明けは見ることはできないし、朝方はガスがかかっていることが多いので、急いで行ってもポスターなどでおなじみのマチュピチュの光景は見えないでしょう。
案の定、サンゲートに到着しても、深い霧で、マチュピチュの光景は見えないので、早々にサンゲートを後にし、マチュピチュの中心部に向かいました。サンゲートから1時間で、ゴールのマチュピチュに到着。観光客があふれていました。
以前は続けて、遺跡の見物ができましたが、規則が変更となり、一旦、ゲートの外に出なければなりません。トレッキングの荷物を預け、再入場して遺跡群を見て回ります。
遺跡、見物のあとは、麓のホテルで久しぶりのシャワー。アグアスカリエンテ(熱い水)の地名のとおり近くに温泉施設があるので、行ってみました。丸いプールが5、6個並んでいてお湯が張られています。そこに水着着用で入るですが、どのプールも水温が低く、なかなかお湯から出ることができませんでした。
翌3/19は、再び、マチュピチュに上がりました。「マチュピチュ」とは実はインカの言葉でマチュピチュ遺跡の背後に聳える山の名前です。よく見かけるマチュピチュの写真の後にある尖った山は「ワイナピチュ」(若い山の意)で、マチュピチュ山は老いた山の意です。ワイナピチュほどではありませんが、山頂付近は断崖絶壁になっていて、急な石の階段には緊張します。
あいにく、山頂に着く頃には一面のガスで展望はありませんでしたが、天気が良ければ、マチュピチュ遺跡とは逆方向に、私達が越えてきた山並みが見えるはずだったのに残念!
3/20は、おまけで、クスコからボリビアのラパス経由の空路でウユニ塩湖に行きました。夜、スターウォッチングに行きましたが、3週間前より幾分水かさが減っているように感じました。
翌21日は、朝からウユニ塩湖を四駆で走り回りました。いいお天気で青空が湖面に映り、人が宙に浮いているように見え、広大で不思議な光景に皆さん感動されていました。
同日午後にはラパスに戻り、3/22、ペルーのリマに戻り、深夜の便で帰国の途につきました。




1911年、アメリカ人の探検家ハイラム・ビンガムがインカ帝国の首都であったクスコの北東70㎞ほどの標高2500mの断崖に囲まれた尾根の上の熱帯ジャングルの中にインカ帝国の遺跡を発見しました。「空中都市」と呼ばれ、1983年、世界遺産に指定されたマチュピチュです。インカは文字を持たない文化のため、だれが何の目的でいつ作られたのかはわかっておらず、神秘に満ちた遺跡として世界の人々を魅了しています。

クスコからマチュピチュに至る道路はありません。マチュピチュ発見の前からあった、アマゾンの産物をクスコに運ぶ鉄路が唯一の交通手段です。ウルバンバ川沿いを走る鉄路により、山麓の温泉の出るアグアスカリエンテス(熱い水=温泉の意。現在はマチュピチュ村と呼称されています)まで行き、発見後、開かれたジグザク道をシャトルバスでマチュピチュに登るのが一般的です。
マチュピチュに人が住んでいた当時は、もちろん、クスコから徒歩で行き来するしかなく、そのインカの古道は現在、「インカトレイル」と呼ばれ、豊かな自然も相まって人気のあるトレッキングコースになっています。
このインカトレイルのスタート地点は、クスコからの自動車道が終わるところです。マチュピチュまで3泊4日のコースで、コースのほとんどが、国立公園のため、宿泊施設はなく、許された地点でのみのキャンプが可能ですが、ガイド、ポーター無しのトレッキングは許されていません。したがって、今回のきたろうHCの5人と私の6人パーティはガイド、ポーターなどスタッフを含め、20人もの大所帯に膨れ上りました。
一日の入山者がスタッフも含め、500人に厳しく制限されているため、半年以上前から入域許可の取得が埋まり、「世界で一番許可が取りにくいトレッキングコース」ともいわれています。私たちが訪れたのは、まだ雨期が明けきらない時期であったので、比較的楽に入域許可をとることができました。
3/12、30数時間の長旅でしたが、アメリカ経由で無事にペルーのリマに到着。
3/13は早速、海抜0mのリマから3400mのクスコに飛ぶ予定のところ、クスコが土砂降りで出発が3時間遅れましたが無事にクスコに降り立ちました。雲は多かったのですが、時折、強い日差しが差して、暑いくらいです。遅い昼食と観光とで忙しい一日でした。リマからの急激な高度上昇にも高度障害が出る人はいませんでした。
3/14はクスコ郊外の「聖なる谷」を観光してトレッキングのスタート地点(2600m)に近い宿に入りました。
3/15、今日からいよいよインカトレイルのスタートです。
最初はウルバンバ川に沿って、鉄路の対岸を進みます。トレイル沿いにはあちこちにインカの遺跡やテラスと呼ばれる段々畑があります。その最初の遺跡を臨むところから、ウルバンバ川と左に90度別れ、支流の渓谷に入っていきます。植生はサボテンなどの耐乾植物が多くみられます。3時間ほど歩いたところで昼食。先行しているスタッフにより、ダイニング(食堂用)テントが設営されスープ、メイン、デザートの豪華昼食。
午後からも3時間ほどで本日のキャンプ地(3000m)に到着。このキャンプ地は国立公園の境界のすぐ外側にあり、国立公園の内部にあった個人の家はこの場所に退去させられたそうで、マチュピチュまでの最後の集落です。キャンプ地も個人の住宅の裏庭のようなところで、トイレも住宅のものを利用します。
宿泊用の個人テントで旅装を解いて、ダイニングテントでお茶をいただきます。高山病にも効くといわれる、コカ茶が人気です。これをお土産に持って帰りたいという声もありましたが、コカの葉は麻薬のコカインの原料の為、伝統的に飲料されているアンデスの山岳地帯を除いては販売、移動が禁止されているので、持ち帰ればトラブルになる惧れが大きい。
3/16、インカトレイル・トレッキングの二日目です。インカトレイルは昨日登ってきた渓谷から右へ90度方向を変え、また別の谷に入っていきます。インカ古道というだけあって、コースはほぼ全線、インカ特有の石畳や石で作られた階段ができています。また、植生は雲霧林帯から灌木帯に変化していきます。
この日は、このルート最高所のワルミワリュスカ峠(4200m)を通過しました。本来なら雪に覆われたアウサンガテ(6394m)が見えるのですが、あいにくガスで展望がありませんでした。峠からは急な山道を下り、1時間ほどで本日のキャンプ地(3600m)です。立派で清潔なトイレがありますが、狭いキャンプ地にはたくさんのテントがひしめいていました。
3/17、この日はインカトレイルの中で2番目に高い峠ルンクラカイ峠(3975m)を越えます。途中、半月形の美しいインカ遺跡や稜線上に造られた遺跡を見学。また、道中はコケやシダが美しい森へ植生が変化していきます。その後、岩をくり抜いたインカのトンネルを抜け、稜線上のキャンプ地(3770m)で昼食。ここからは聖峰サルカンタイ(6271m)が見えるはずですが、この日も小雨が降りだしたので、展望は得られませんでした。
3/18、きょうはゴールのマチュピチュに到着する日です。世界遺産のマチュピチュはペルー人のスタッフにとっては庭みたいなもので、高い入場料を払ってまで訪れる必要はありません。彼らは近道して、下山し、早朝のローカル列車でクスコに戻ります。そのため、4時にはキャンプを撤収しなければなりません。テントを出て、チェックポストのゲートが開くのを待ちます。既に、長蛇の列で、暗闇の中、2時間待ちました。
パーミットチェックを終え、夜明け前の薄明りの道を進みます。次から次へと後続のグループが追い抜いていきます。マチュピチュの入り口のサンゲート(太陽の門)でご来光を迎えたいのでしょう。しかし、マチュピチュのまわり、特に東側には高い山があるので、きれいな夜明けは見ることはできないし、朝方はガスがかかっていることが多いので、急いで行ってもポスターなどでおなじみのマチュピチュの光景は見えないでしょう。
案の定、サンゲートに到着しても、深い霧で、マチュピチュの光景は見えないので、早々にサンゲートを後にし、マチュピチュの中心部に向かいました。サンゲートから1時間で、ゴールのマチュピチュに到着。観光客があふれていました。
以前は続けて、遺跡の見物ができましたが、規則が変更となり、一旦、ゲートの外に出なければなりません。トレッキングの荷物を預け、再入場して遺跡群を見て回ります。
遺跡、見物のあとは、麓のホテルで久しぶりのシャワー。アグアスカリエンテ(熱い水)の地名のとおり近くに温泉施設があるので、行ってみました。丸いプールが5、6個並んでいてお湯が張られています。そこに水着着用で入るですが、どのプールも水温が低く、なかなかお湯から出ることができませんでした。
翌3/19は、再び、マチュピチュに上がりました。「マチュピチュ」とは実はインカの言葉でマチュピチュ遺跡の背後に聳える山の名前です。よく見かけるマチュピチュの写真の後にある尖った山は「ワイナピチュ」(若い山の意)で、マチュピチュ山は老いた山の意です。ワイナピチュほどではありませんが、山頂付近は断崖絶壁になっていて、急な石の階段には緊張します。
あいにく、山頂に着く頃には一面のガスで展望はありませんでしたが、天気が良ければ、マチュピチュ遺跡とは逆方向に、私達が越えてきた山並みが見えるはずだったのに残念!
3/20は、おまけで、クスコからボリビアのラパス経由の空路でウユニ塩湖に行きました。夜、スターウォッチングに行きましたが、3週間前より幾分水かさが減っているように感じました。
翌21日は、朝からウユニ塩湖を四駆で走り回りました。いいお天気で青空が湖面に映り、人が宙に浮いているように見え、広大で不思議な光景に皆さん感動されていました。
同日午後にはラパスに戻り、3/22、ペルーのリマに戻り、深夜の便で帰国の途につきました。




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